伝えたいこと

ずいぶん前の話だけど,教育実習の先生がきていたときに研究授業を見に行った.まあ思うことがたくさんあって,あとで実習の先生が感想を求めにやってきたときに少し話をした.
実習の先生は「自分の知識が少ない」という.確かにそうなのかもしれないけれど,僕が教員としていつも考えているのは,そんな自分の努力次第でどうにでもなることではなくて,自分が「人に自分の思いを強烈に伝えられる立場にいるということをどれくらい本気でとらえているか」なのよ.これは経験ではない.努力でも知識でもない.変えようと思えば明日から今日から今からでもできること.
実習の先生の声は大きく,みんなに聞こえるようにアップアップしながらも頑張っていた.だけど教室の一番後ろにいる僕にはあまり届かなかった.上手くやろうとなんて思わなくてもいいんだよ.それは考えることじゃない.大切なのは声の大きさじゃなくて,テクニックじゃなくて,ソウルでしょう.何も精神論的なことを言いたいんじゃないけど,魂がない教員にあたった生徒はかわいそうだよ.
一生懸命な人は美しい.見ているだけで感動する.でもその一生懸命さはどうやってにじみ出てくるものなのか.予習復習,勉強をがんばって知識量を増やして教え方を工夫して・・・ってそんなのはできて(努力して)当然だと思ってる.本当に必要なのは,どれだけ自分の声を考えを伝えたい届けたいと考えているかだ.完璧な人なんていないのは誰だって知っている.不完全な人間である自分を認めながら恥じながらも曝け出して,それでも不完全なメッセージを伝えようとする・伝えたい気持ちが大切なんだ.




なんか気付いたら(いつも通り)熱く語ってた.


数日後,その実習の先生の指導係の先生から感謝の言葉を頂戴した.「先生の言葉に彼女はものすごく感動していましたよ.実は先生の話を私も後ろの席から聞いていて,先生は教員になるべくしてなったんだなぁと感じました.私も先生の熱いメッセージに感動しましたよ.ありがとうございます」って.
このように先輩の先生から言ってもらえて涙が出るほど嬉しかったけど,同時に猛烈に恥ずかしかった.まだまだ自分なんてクズみたいなものですよ.そのクズみたいな奴が偉そうに知ったように語っている姿なんて想像したら切腹したくなります.毎日がそんな感じ.でも今日も明日も強烈に恥ずかしい自分を垂れ流している.もうこれは殆ど病気だね.