恋愛プロレタリアート革命のために

モテる(モテない)男は自分の身を置く階級・所属によって変わる.そしてまず強調しておきたいことは
「非正規雇用者はモテない.無職はもっとモテない」
相手が中高生だったり大学生(偏差値が低い方がその傾向が強い)であるとまたその影響は少ないのだが.いくらイケメンであっても自分が歳をとればこれから先,どういう人生を誰と歩むのかをいやがおうにも考えさせられる.自分が学生であれば,今が楽しければいいので純粋に「いつも会える人」「時間的な拘束ができる人」が人気が出るという相反する結果になるかもしれない.しかし学生時分から将来のことを考えている女性だったら全然違う結果になるだろう.そんな女性は非正規雇用者(無職であればなおさら)に魅力を感じない.恐ろしいほどシビアに.
ということは非正規雇用者とくっつくのは必然的に非正規雇用者ということになる.自分の将来に対して楽観的に考えているか,あるいは考えないようにしている女性であれば,自分や彼氏の就職に対してはそれほど執拗になったりはしない.けれどそうでない自らの将来設計に危機感を持っている女性であれば,体調面や家族構成等の様々な理由がない限り「就職しなければ死んでしまう!」と思うはずである.だって就職しないと,きちんと就職している男性にめぐりあう機会すら与えられないのだから.そうなったら大変だ.友達にも会えないし同窓会にも行けない.そして自分の将来設計すら暗雲が立ち込めてしまう.だから女性はモラトリアムにズブズブと嵌り抜け出せない男性が多い中で,さっさと就職活動を始めてしまうのである.
クラスタの固定化はこのようにして進む.よっぽど本人がキャリア志向であり,お金に不自由がなく将来が安泰な女性であれば若いどうしょうもないイケメンを囲ったりできるのだろうけど,それはもちろんのこと例外である.
マルクスは人類の歴史は全て階級間の闘争であると説いた.しかし私が懸念しているのは,階級間闘争を意識しているのは,自らの立場の安泰を図ろうとし,そこからの転落を危惧する上位クラスタであって,本来階級間闘争を強烈に支持する立場にいるはずの経済的弱者(=恋愛的弱者)が階級闘争への信念を持たないことだ.全くもって愚かである.けれど強者に対して憤らない弱者を見ていると,私は弱者の愚かさを嘆くよりも,強者の巧妙な社会システム構築力に感嘆せざろうを得ない.それはきっと私だけではないだろう.自分がこの不平等な社会に生きながら社会的不平等を是正するには,上位クラスタを暴力でない理論武装で打倒する(更に上の上位クラスタを目指す)か,下位クラスタを鼓舞し自らの置かれている立場からの脱却を促すしかない.そのためには自分自身が下位クラスタから抜け出さねばならない.矛盾しているようだが,階層社会を否定するためにはその階層を認識し,より下位からの脱出を図るしかないのである.その矛盾点が上位クラスタの安泰への温床となっているのは誰が見ても明らかだ.でも他に何の手段がある?
以上のことから恋愛主義はつまるところ資本主義であるように思える.ただそれは言い過ぎであって,「別にお金なんてそんなになくたって,日々の生活ができるぐらいで丁度良いでしょう」と考える女性が多いだろうし,また殆どであろう.しかし最低限度の基準がどこにあるのかが最終的な問題なのだ.結局恋愛をするなら最低限度の社会的(経済的)なステータスが必要であるということだ.それが今の社会の階層を大きく2つに分けるのなら,断層面はただのひとつしか思い当たらない.
恋愛資本主義の最低基準は自分が非正規雇用者か,正規雇用者かに尽きる.