緊張しない面接

土曜日は面接があるようだ.さっき電話があった.少し前に受けた私立の筆記試験は通ったみたいだ.あーもーめんどくさい.もうどこでもいいっす.どこでもいいから職を下さい.非正規採用とか非常勤とかアルバイトとかそういうのじゃないやつ.
しっかしこないだの公立教員採用試験の面接じゃないけど,なんかもう面接しても緊張しないんだよね.そりゃ「採用されたい」とは思っているけど今までは倍率が高すぎて「落ちて当然だな」って思っていたし,非常勤を何年もやってて学校の問題とか内情とか求めている人間像には詳しくなっているし.それとバカみたいだけど未経験者よりは1億光年ぐらい先を行っていると思えるようになったからさ.別に思い上がっているわけでもなく自信過剰でもなくね.教員って経験なんだ.それなりに熱意を持って年月を重ねればそれなりに教員っぽくなってしまう.
先生になりたての人は「教員っぽくなりたくないんです!」なんて言ってる.それを飲み会なんかで熱く言われるたびに僕は大笑いしたくなるのをぐっとこらえる.なんで教員っぽくなりたくないのかな.なりゃいいじゃないの? 新人さんたちはまだベテランの先生がどれほど生徒のことを考えているのか,自分のことが手一杯でわかっていないんだね(有り得ない先生はいるけどそれは例外だ.どこの世界にも例外な人はいる).「そういう君たちは教員っぽい先生なんかよりも全然生徒の信頼を得てないし授業だってヘタじゃないか!」なんてことは言わない.「そうですか.頑張ってくださいね.先生は熱いからメッセージは絶対に生徒に伝わりますよ」って言ってる.別にヨイショしているわけじゃないよ.本心からそう思っているの.
僕も新人さんと同じように以前はそう考えていたっけと泣きたくなった.恥ずかしさと死にたくなるほどの情熱を持っていた,ほんの数年前の自分にね.でも今だって恥ずかしいことを考えていないわけではない(このブログが実際そうだ)し,前よりも今のほうがずっと情熱を持っているよ.ただその方向性と視点と表現方法が変わっただけだ.人とふれあうたびに自分の無力さと考えの浅さを知った.どんな人でも尊敬できる部分はあって,そしてまた足りない部分はある.他人の足りない部分ばかりを誇張して捉えて自分と比較し安心する行為は何も生み出さないよね.幡から見ればバカなだけ.だって「あの人はその部分が足りない」って思っていたことだって殆どが勘違いだもの.
そういう気持ちを偽りなく常に持っていようと考えるようになってから面接は緊張しなくなった.ダメだったら「ついてなかった」「採用しないなんてバカだな.おれはこんなに情熱を持っている奴なのに」って傲慢に思って笑うんだろうなとメタな視点から自分を分析する準備はできているから.
醒めているからね? いや,何度も言うけど俺ほど熱い奴はいないよ.