ピースな愛のバイブスでポジティブな感じでお願いしますよ

(戻しておきます)
ネットというものは不思議なものだ。いつもその人の感情や趣味や好きなもの嫌いなものにふれているのに、その人のリアルな風を感じることができない。たとえば明日街に出てその人の隣を通り過ぎたとしても、そこにその人を感じることはできないんだ。どうしてだろう? 答えは簡単だ、その人の顔を見たことがないからだ。
人間は実体が不明瞭で抽象的で非現実な物ほどイメージとして捉えにくい(ちょうど辻褄の合わない夢を起きて一瞬で忘れてしまうように)。だから人は知りえない何かを自分の知っている何かに置き換える動作をする。イメージを作ることをする。そうすることによって「知り得ない何か」をより身近なものとして捉えることができるのではないだろうか。顔を知らない人だったら、イメージがより近い自分が知っている誰かに当てはめてしまうように。
僕がいつも楽しく読ませてもらっているブログがある。もう3年以上前から読んでいる。その作者さんはむかしは長い文章(僕好みの文章)を書いていたのだけど、最近は心境の変化からか別の場所を開拓したのか、とても短い一言日記を書くようになってしまった。むかしのブログを知る者として不満がないわけではないけれど、それでも一言の中にその人なりを感じることができるし、たとえ僕からの一方的な親近感であったとしても、そこに歴史がある以上、その人のファンでなくなるわけもない。ここではその人をTさんと呼ぶことにしよう。
Tさんはその語り口からか、当初僕は男性かと思っていたけれど、途中から女性であることに気付いた。日記の中には膨大な「女性」へのキーワードが散りばめられていたにも拘らず、ハナから僕は「男性」と思い込んでいたので全く気付かなかった。普通に空目をしていたんだろう、きっと。だってTさんは自分は窪塚洋介に「スッゲ似てる」とか何とか言っていたんだ。誰だってイケメンの男性を想像するでしょう。「へー、すげえな。この人、相当かっこいいんだろうなぁ」と僕は長い間、思っていた。当然のように窪塚洋介をイメージしながらそのブログを読んでいた。
あるときTさんとは別に僕がいつも楽しみにしているブログの作者、Aさんが日記におもしろいことを書いていた。
窪塚洋介ジュリア・ロバーツにしか見ない」
これを読んだときに僕は大爆笑をしてしまった。もうそのときから僕も窪塚洋介ジュリア・ロバーツに、ジュリア・ロバーツ窪塚洋介にしか見えなくなった。僕のまわりの人にその話をすると、殆どの確率で笑いながら同意をしてくれる。「そういえば骨格が似ているよね」「顔のパーツの集まり具合と濃さが似ている」と・・・いったように(みなさんもそう思うでしょう?かなり似ているよね?)。
そしてついにその日がやってきた。僕は重大なことに気付いてしまった。Tさんは男性ではなくて女性であるということに。そしてこの瞬間に僕の脳みそのシナプスは一瞬で結合してしまった。
「Tさんは窪塚洋介にスッゲ似ている」「窪塚洋介ジュリア・ロバーツに瓜二つ」
→ ∴「Tさんはジュリア・ロバーツに似すぎている」