「人生の墓場」に至る喜び

僕より年齢が1つ上の仲のいい同僚の英語の先生とさしで飲みました.その先生も僕と同じく4月から別の学校への専任が決まった立場です.いわゆる脱北仲間.先生がしばらく前から「飲みましょうよ飲みましょうよ」を連呼していたので,話したいことがあることはわかりました.そしてその内容もわかってました.
居酒屋に行って,すぐにお酒も出てきて,そして「おめでとうございます」と乾杯.「先生,ご結婚するんですよね」と言ったら驚いていた.「どうしてわかったんですか?」っていってもそんなのは見ていればわかりますよ.先生はすぐにその結婚までの経緯を話し始めました.


先生は彼女さんとずっと前に知り合って,くっついたり離れたりで何年か過ぎてきました.そして先生の方になんとなくの意識が芽生えたときに,これまた丁度よくイベントが発生するものですね.先生の彼女さんには娘がいてその娘さんは15歳の中学3年生なんです.その子が「これまた勉強のできない子で」(先生談)高校の入試がヤバいということでした.「受験失敗しちゃって公立高校に入れないかも….でもうちは母子家庭だから定時制の学校を探さなきゃいけないかな…」という話を入試が終わった後,不安なった娘さんがメールでしてきたそうです.そのとき先生は「私立にいけばいいんだよ.そんな心配はしなくていいんだよ.する必要がない」と思ったそうな.その何秒かで決断したって言ってました.後日先生から「結婚してください」と言われた彼女さんはめちゃんこ喜んで大号泣.自分には大きな娘がいるし先生には結婚する気がないんだって感じていたそうです.




「マジ先生かっこいいっす...」


まあそのセリフを先生に言ったすぐ後に説教したんですけどね.彼女さんに自分は結婚する気はないオーラを出して全く期待を持たせていなかったことと,娘さんに進路でいらん心配をかけさせたことに.先生は「いやあ,でも正直今年の夏過ぎぐらいかなぁって思ってたんですけどね.職場も変わるし」って弁明していました.でも,ものにはタイミングってやつがあるんです.そして先生はそのタイミングを全然外すことがなかったので,それが外野の僕にもすごく嬉しかったんですよ.
前のエントリにも書いたけれど,僕自身はひとりで生きていくのには限界があるって考えています.もちろん今の世の中はいろんな選択肢があるし,それについては批判も何もないですけど,僕は「誰かのために生きていこう.それが第一に自分のためなんだ」と考えられて,そして実行できる人に強さと尊敬の念を抱くのです.
「(娘さんの)卒業式にも入学式にもこれから行かなきゃいけないんですよ.大丈夫ですかね,こんな父親で」と先生はずっと心配してました.まだ30なのに若すぎる父親じゃないかと,俺大丈夫なのかな…って.




「全然大丈夫です.全くもって問題ないです」


何言っているんですか.自慢ですかそれ.だってもう「俺はやってやるぞオーラ」出しまくりじゃないですか.これでやっていけない,うまくいかないだったら私腹切りますよ.それに先生はそんなこと言いながらも,うまくいかないかもなんてこれっぽっちも思ってないじゃないですか
と言ったら,めちゃんこ笑顔でした.






もう本当に先生カッコよすぎますよ.おめでとうございます.