メメント・モリ

このニュースなんだけど

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/071006/crm0710060829006-n1.htm

この記事の元になった事件は全然関係ない一市民からみても許せないし,恐ろしいし,思い出しても怒りがわいてくるようなものなんだけど,記事の内容からは強烈な違和感というか恐怖心を感じざるを得ない.何故かといえば,事件の残虐性はあるにせよ,11万人以上の人が「犯人を死刑にしろ!」と声を上げているからだ.言い方は悪いけど「こいつを殺せ」「こんな酷い奴は死んでもいい」「死んで罪を償わせろ」って積極的に言っている人が11万人もいるわけでしょう.
被害者のお母さんにしてみれば,光市の事件の本村さんと同じように「極刑を」そう思うのは当然かもしれない.人間は感情移入できる動物だ.だから生物学上は動物なのかもしれないけれど,人間と動物とを同一に扱うことは社会では殆どない.この事件の犯罪者は短絡的で動物的だと言える.「こんな残酷な奴はきちんと罪を償って極刑に処すべき」そう思う人がたくさんいるのもわかる.我々は被害者とその家族の気持ちに簡単にリンクできるから.もちろん皆が皆,犯罪被害にあった経験を持つというわけではないし,どれほど当事者の気持ちに近づけるのかはわからないけれど.
だからといって法の順守をアヤフヤにし,感情論に訴えることで,法や判例以上の厳罰を与えることは正しいことなのだろうか.日本は一人殺しても死刑を適応できる刑法だけれど,判例をみてみてもそのような判決は殆どみられない.殺害した人数というわけではないにしろ,そこが直接的な厳罰のための法律ではなく,判決の歴史であったり裁判官の良心とも言える.で,あるにもかかわらず日本は驚くほど他の先進国に比べても死刑の支持率が高い国だ.ヨーロッパの国々はキリスト教など宗教的な意味合いもあるのだろうけど.日本にいる死刑反対派も「簡単に死刑にしてしまうのではなく,死ぬまで刑務所から出さないという,もっと違う重い苦しみを与えるべきだ」という,より辛い刑罰として終身刑を支持し,死刑を廃止すべきという人もいる.
死刑の支持層を考えてみる.むかしある本で読んだところ,死刑を支持している人は若年層と高齢層,それと女性の比率が高いそうだ.それは何となくわかる.自分の母親も,以前実家に帰ったときにニュースをみていたら「こういう犯罪を犯す人間は片っ端から死刑にすべきだと思うのよ」と言っていた(ちなみに私の母親は人畜無害で温厚なごく普通のおばさんですよ).数年前に公民の授業で死刑制度を取り扱ったときも,持っているクラスの生徒ほとんどが死刑賛成派だったのは衝撃的だった.でも,自分にしても高校生ぐらいまで強烈な保守的な考え方しかできなかったし,そのことから考えると当然の結果なんだろう.
ではどうして強烈な死刑賛成派の人間が死刑反対派の人の気持ちもわかるようになるのだろうか.自分を例に取り上げたいのだが,それはできることではない.なぜなら自分でもよくわからないからだ.死刑大国の中国に関する報道を見聞きしなくても,死刑には冤罪がついてまわる.そのような誰でもわかる死刑反対のファクターがなかったとしても,自分の命の大切さを考えれば考えるほど,人の命も同等に大切なことがわかる(自分の命の価値が低い国は他人の命の価値も低い.何かを命懸けで行動する人間が多い国は殺人も多い).そして(授業が切欠ではあったが)死刑について考えるほど,報復・復讐という意味合いが罰には含まれていないのかと言われれば,自分は明確に答えることができなくなってしまった.人を殺してはいけないけれど,法律が殺すのはいいのか.また,それだけのことをやったのだから被告人は殺されても,死刑になっても致し方ないのか..
ずるい自分は死刑賛成派でもないし死刑反対派でもない.考え抜いた末に,まだ今でもわからないからだ.もし皆が裁判官であったなら,法律と判例から適切に判断し,その義務感・正義感から一般人にはない強靭な精神力で判決を下せるのだと思う.だから私は到底裁判員制度を支持することができない.そのような過酷な精神的負担を一般市民に負わせるのは適当とも思えないし,また精神的なプレッシャーを受けずに判断を下せるような人がいたとしたら,その人は裁判員として疑問符をつけざるを得ない.また法律を身近に感じられるようにするなら他の方法もあるはずだし,ずぶの素人が短期間で適切な判断を下せるとは思わない.一般人の裁判員が法律と判例だけに基づいて,感情論にも,社会的な圧力にも左右されず結論に到達できるだろうか.陪審員制度を取り入れているアメリカでは,より陪審員と世相に対して感情論に訴えかけるような寸劇まがいのアクションをとる弁護士もいると聞く.日本だってそうはならないと断言はできない.
私が裁判員になったら…まずその話が来た段階で拒否するけれど,それができないのなら重大犯罪に関して言えば全て無罪にしてしまうかもしれない.だってその判決の重さに耐えられないことは目に見えている.どんなに人を何十人殺していた大悪人がいたとしても,自分は「こいつは死刑」って判断を下せるとは思えない.自らの判断でその人は絶命するというその絶対的な事実.死刑執行の際,3つのボタンを3人の執行人が同時に押すという行為とその意味を知っていて,かつ理解している人は世の中にどれだけいるのだろう.