(18)『モテたい理由 男の受難・女の業』

こんな本を読みました.


モテたい理由 (講談社現代新書)

モテたい理由 (講談社現代新書)


文章がブログっぽい書き方をしているでアッサリと読めます.で,書かれている内容も僕のブログでいつも書いているような[非モテ]を中心としたようなものでした.著者は出版されている女性誌を殆ど読みつくしているようです.その雑誌記事から読者が男性に対して何を求めていて,編集部が女性に対してどのようなイメージコントロールを図ろうとしているのか,という二極を抽出して本の方向付けをしています.このような本にありがちなパターンは断定調で書かれてしまうということ.この本もその域を脱出できていないから,エンターテイメント性はあるのだけど,いかんせん説得力に欠ける.いや,モテ論は面白いんだけどね.
なんでそんな風に批判的(?)に僕自身が感じてしまうのかといえば,自分も修論であるまとまった冊数女性雑誌を読んで分析したからです.よくわかんないことやってますねワタクシ.お前は地理学を研究しているはずなのにどうして女性雑誌を読んでいるのかと小一時間(ry. 論文ではあるパターンを示すために,該当箇所の文章を抜き出したところで説得力はありません.なぜなら,受ける印象は人それぞれ違うものであり「イメージ」というのは曖昧で書き手によって作られて貼られてしまうレッテルのようなものだからです.だからその文章を抜き出した時点で著者の「思い込み」が入ってしまう.客観性がスコンと抜けてしまうのです.その客観性を補うものが先行研究であり,数字なんです(作品中にはよく本田透の『電波男』が登場しますけれどね…).ブログでの語りと同じようにモテ論は「うっわー」「なるほど…」と思わせてしまった者の勝ちですよね.だからある程度読む前から本の内容は予想はついていたし,その予想は覆されなかったことから自分の中では古本で買ってもよかったかなと思いました.モテ論を書いている楽しいブログはたくさんありますからね.本にするんだったら社会学の先生とか,数字を使ったものできちんとデータを出してほしいです.
それと最後の最後で腹立ったのは,終章が著者の自分語りになっていて,それまでの章を全く受けて書かれていない,別物の話になっていたところでした.なんでこんな関係ない話をここでもってくるのかなぁと考えてみると答えは簡単です.この本の前に読んだ安倍さんの美しいなんちゃらは,文章を読み進めることによって安倍さんの俺ちゃんぶりがわかる仕組みでした(当然安倍さんは意図していない部分ですが).でもこの作者さんは「どうしてこいつは女性誌のヘンテコな論調と記事内容に対する考えをこんこんと説いているのか?」と読者に思われるのが嫌だったのかなぁと.だから自分からネタバレしちゃったんですよね.「私はこんな人間です.こういうコンプレックスをもっています」って.そう捉えれば正直な人だなと思うし人間的には高感度は増すけれど……それはやっぱり余計なことですよ.モテ論は自分を癒すために書く文章じゃないもんね.ブログだったら全然OKなんだけどww.