「…哀しそう」「なにそれ?」「なんかそんな感じがした」「たぶん気のせいだよ」 それは女性の常套句だ。「先生はいつもテンションが高いけど不意にそう思うときがあるんですよ」 でも高校生にそれは言われたくないな。たぶんそれを言われた奴は9割ぐらいが首を縦に振ってしまうから。「それ、男の子には言わない方がいいよ。人は多かれ少なかれ哀しくない奴なんていない。だからそう言われると自分のことを理解されたと思ってその気になっちゃう奴が必ずいるから」 …返事はしなかったけどわかっているような顔をしていた。なんてこいつは頭の回転が速いんだろう(あとは机に向かう持続力だけだ)。彼女は無意識にそういうことを言えてしまうのか、意図的にそう言ったのかはわからない。そういう人は過去にもいたよ。全員が女性だった。それに引き換え男どもは…。
いつも常に違う自分を押し出している。それは仕方がないと思う。どんなときだって元気で明るくて声がでかくてハイテンションの奴なんかいない。だけど僕はその役回りを選んでしまった。もういまさら別のキャラにはなれないだろう。本当は絶望的なほど暗くて陰湿でウジウジしていて。だからそれはルールなんだよ。気付いても言わないルール。「たぶん無理しているんだろうなぁ」と思っても本人には言ったらダメだ。そんなことを指摘しても何もならない。意図的に相手が演じているならなおさら。大事なのはそれを見てどう感じるかだ。「何でこの人、から元気をしているんだろう?」 その理由を考えなさい。数人には(全員かもしれない)バレているなんて、こっちは分かりきっているんだから、そうじゃない理由はあるんだよ。
公開日記を長い間書いていると文章のかたちも変化してくる。断定的でスカしたこの書き方にまた飽きるかもしれない。アホみたいなモテない自虐論を書いていた頃のような妙なテンションに戻るかもしれない。ですます調に戻るかもしれない(今の「である調」と「ですます調」を織り交ぜた書き方は気に入っているんだけど)。それでも僕は何も変わっていないし、たぶん変わらないだろう。暗いままだ。クールじゃない。スカしてない。醒めてもいない。暗いだけ。その陰部が人を不快な気分にさせることがあったし、今でもある。
だから熱い人に憧れる。その生き方を真似てみる。そこから始めなきゃ僕は変わりっこないから。変わらないのはわかっていてもそれを目指す。往生際が悪いな。でもそう決めたんだよ。