人の着眼点は同じわけではない

近い人もいるけれど。その差異によって感動と笑いと(自分への)振り返りと様々なことを考え感じることができる。むかしからの考えも生活環境も近い馴れ合いの仲間意識を持ったホームの友人は必要だ。でもそれだけでは発展はない。新たな風が必要なんだよ。
みんな同じことを考えていると思っていた。でも新しい人間関係が構築されていくごとに「君はユニークだね」「おもしろい」「参考になる」「一緒にいて発見がある」などと言われ過ぎて、こんどは逆に僕だけ他の人とは全く違う人間のように感じるようになってきた。
バカだね謎の優越感。そんなのどうでもいいんだよ。優劣もクソもない。自意識過剰も自己満足も人と比べる必要もない。人の主観をイメージで型に当てはめる必要は感じない。それと同時に全ての考えを一般化して平均化する必要もない。いつだって取り出せることはできるから。必要なのは偏らないバランス感覚と、広大な尺度、感受性と許容性なんだよ。
当たり前のことか。いや、たぶん僕の言うことは間違っている。おもしろいかね、こんな僕は。